大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成3年(ネ)3228号 判決

第三一五八号事件控訴人・第三二二八号事件被控訴人(一審原告)

右訴訟代理人弁護士

内藤隆

山崎惠

竹之内明

清井礼司

中下裕子

第三二二八号事件控訴人・第三一五八号事件被控訴人(一審被告)

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

伊藤一夫

外四名

主文

一1  一審被告の控訴に基づき、原判決主文第一項を取り消す。

2  右部分につき一審原告の請求を棄却する。

二1  一審原告の控訴に基づき、原判決主文第二項を取り消す。

2  一審被告は、一審原告に対し、金二〇万円及びこれに対する昭和六一年五月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  一審原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一・二審を通じてこれを一〇分し、その一を一審被告の負担、その余を一審原告の負担とする。

四  この判決の第二項2は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  第三一五八号事件

1  一審原告

(一) 原判決のうち一審原告敗訴の部分を取り消す。

(二) 一審被告は、一審原告に対し、金一六〇万円及びこれに対する昭和六一年五月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は第一・二審とも一審被告の負担とする。

(四) 仮執行の宣言。

2  一審被告

本件控訴を棄却する。

二  第三二二八号事件

1  一審被告

(一) 原判決のうち一審被告敗訴の部分を取り消す。

(二) 右部分につき、一審原告の請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は第一・二審とも一審原告の負担とする。

2  一審原告

本件控訴を棄却する。

第二  当事者の主張

次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決四枚目表末行から同裏一行目にかけての「なた」を「なった」と改め、同六枚目裏一行目の「こと」の次に「を」を加え、同九枚目裏末行の次に行を変えて次のとおり加える。

「また、一審原告に対する独居拘禁は、昭和五九年八月二〇日に開始されたものであるところ、それから六か月を経過した後の昭和六〇年二月二〇日までに適法、適式な期間の更新がされていないので、同日以降の厳正独居拘禁については、その違法性は形式的にも明らかである。」

二  同一三枚目裏三行目の「上司」を「定規」と改め、同一五枚目表一行目の末尾に「は違憲であり、したがって、これ」を加え、同一六枚目裏一行目の「制審部会決議」を「制審監獄法部会決議」と改め、同二三枚目裏一行目の「こと」の次に「を」を加え、同二九枚目表六行目から七行目にかけての「将来」を「招来」と改め、同裏一行目の「被告の各不法行為は、」を「新潟刑務所長の前記各違法行為は、故意又は少なくとも過失に基づくものであるところ、これらは」と改める。

三  同三二枚目表七行目の「無事故」を「二年無事故章」と、同三四枚目裏一行目の「(一)は」を「(一)(1)の前段は」と改め、同五行目の次に行を変えて「(一)(1)の後段は争う。」を加え、同三五枚目表七行目から八行目にかけての「認めるる」を「認める」と改め、同三五枚目表九行目の冒頭から一〇行目の末尾までを削り、同三六枚目裏五行目の「真意」を「貴意」と、同三七枚目表五行目の「したのもの」を「したもの」とそれぞれ改める。

四  同三八枚目裏五行目の次に行を変えて次のとおり加える。

「その後、同月二四日に軽屏禁一〇日の処分の執行が開始され、同時に右厳正独居拘禁処分は終了した。右軽屏禁一〇日の処分の執行は同年九月二日に終了し、翌三日に第二回目の厳正独居拘禁処分が開始され、右処分は、昭和六〇年三月三日に第一回目の更新がされ、その後、三か月毎に更新されて、一審原告が昭和六二年一二月一七日に満期出所したことにより終了した。

一審原告は、厳正独居拘禁に付された後にも、別紙『独居拘禁期間更新の理由』記載のとおり、職員を著しく誹謗中傷し、外部の者に同刑務所の運営に対する妨害活動を促す内容の発信を願い出るなど同刑務所の処遇及び職員に対する不信と反発をあらわにしており、このまま一般工場へ出役させて集団処遇を行えば、他の受刑者を扇動する等悪影響を及ぼし、同刑務所の規律の維持に重大な支障を生じるおそれがあったため、独居拘禁を継続したものである。

なお、第六回目以降の更新の理由については、既に原審において概括的に主張していたものを敷えんしたものにすぎないので、時機に後れたものでないばかりか、その立証のために証人申請もしていないのであるから、訴訟の完結を遅延させるものでもない。」

五  同四〇枚目表一行目の「搭載」を「登載」と改める。

六  同四二枚目表四行目の末尾に次のとおり加える。

「例えば、便箋の裏表紙にしても、これに何らかの記載をして密書として使用することなども可能であるため、厳しく制限しているのであり、社会一般の常識のみから判断できるものではない。」

七  同四七枚目裏三行目の次に行を変えて次のとおり加える。

「一審被告は、当初、計算上一二回に及ぶ更新の前提となった厳正独居拘禁の処分日及びその執行開始日が昭和五九年八月二〇日であることを認めておきながら、原審において、同日、一審原告の物品不正所持事犯が発覚し、同日から同月二三日まで監獄法施行規則一五八条に基づく取調べのための独居拘禁に付し、同月二四日から同年九月二日まで当該事犯に対する懲罰を執行した結果、同規則四七条に基づく独居拘禁の起算日は同月三日になると主張を変更し、当審において、同月三日に新たな厳正独居処分をしたように再度主張を変更したのであるから、右の主張は時機に後れたもので許されないし、また、右の新たな処分がなかったことを裏付けるものである。

また、一審被告は、当審において初めて独居拘禁処分の第六回以降の更新理由を主張したが、このような事実は原審において主張すべきものであったし、また、原審において主張することが十分可能であったはずであるから、右の主張は、訴訟の完結を遅延させるものであり、時機に後れた防御方法として却下されるべきである。

なお、一審被告は、昭和六一年六月三日の第六回更新理由として、同年三月三日の第五回更新前の同月一日付け信書の一部を引用しているが、これが何故に第六回更新理由になり得るのか不可解である。更に、一審被告の引用する私信の内容が『黒ヘル公判ニュース』に掲載されたのはごく僅かにすぎず、また、一審被告の引用する信書の部分は、全く抹消の対象になっていない上、被控訴人が『救援』や『黒ヘル公判ニュース』等の閲読を継続していたとの立証もないのであるから、一審被告の主張するような事由をもって更新理由とすることはできないというべきである。」

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一当事者

請求原因1記載の事実は当事者間に争いがない。そして、〈書証番号略〉によれば、一審原告は、窃盗・爆発物取締罰則違反の罪により懲役七年の刑に処せられたが、兄である乙を中心とする過激派グループの一員として、国家権力に対しゲリラによる武装闘争を展開して大衆を蜂起させ、暴力革命を達成しようと企図して、右の犯行に及んだことが認められる。

二本件に至る経緯等

1  請求原因2記載の事実のうち、一審原告は、新潟刑務所に入所した後、昭和五九年二月、行刑累進処遇令第二級に進級したこと、昼間は縫製工場に出役し、夜間は独居房で通信教育を受けたこと、入所中歯科の治療を受けたことがあり、また、腰痛を訴えたことがあったこと、同刑務所内において、同年六月七日から同月一二日までの六日間に四名の受刑者が急死する事件(以下「本件死亡事件」という。)が起きたこと、これに伴い同刑務所では特別の健康管理体制を採ったこと、これに対し、受刑者の一部から同刑務所管理部長に面接願いがあったこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、また、〈書証番号略〉及び右本人尋問の結果によれば、一審原告は、本件死亡事件が起きるまでは良好な成績で処遇を受けて来ており、特に事故を起こしたこともなかったことが認められる。

2  一審原告は、新潟刑務所長による一審原告に対する各行為は、本件死亡事件の責任を回避し、一審原告の真相究明を妨害し、これを断念するために行ったものである旨主張するので、まずこの点について検討する。

(一)  前記1の事実並びに成立に争いのない〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 昭和五九年六月七日から同月一二日までの間に、新潟刑務所において四名の受刑者が死亡し、そのうち二名は同刑務所外の病院に運ばれたが、右四名の死因はいずれも急性心不全と診断された。そして、最後に急死した一名を病理解剖した結果は、原因不明のうっ血性心不全(壮年男子突然死症候群、いわゆるポックリ病)であると判断された。

なお、当時の同刑務所の収容人員は一日平均約七四〇名程度であった。

(2) 同年七月一日付け毎日新聞には、本件死亡事件の概要が掲載され、その中で、同刑務所においては、受刑者に対し入所時及び毎年一回健康診断を実施している旨が記載され、同日付けの新潟日報には、年一回胸部エックス線撮影などの定期検診を実施している旨が記載され、同月二日付け読売新聞には、入所時もレントゲン検査や問診を行い、更に年一回定期検診を行っている旨が記載されているが、同日付け朝日新聞には、「全受刑者に対して血液、レントゲン、心電図検査を実施、六月中は所内の作業を一時間短縮した」と記載されていた。

(3) 同刑務所においては、年一回の定期検診は実施されておらず、また、受刑者の一部について血液、心電図検査を実施したことはあるが、収容者全員についてこれを実施したことはなく、この点に関する前記の報道は、事実に反するものである。

(4) 同刑務所においては、右の新聞報道のうち事実に反する部分について抹消等の措置を執ることなく、受刑者の閲覧に供した。

(5) その後、同刑務所において同種の事態は発生していない。

(二)  右の事実に、本件全証拠によっても前記事実に反する報道が新潟刑務所の発表を正確に報道したものであることを認めることができないことを併せ考えると、同刑務所が敢えて真実を隠すために虚偽の事実を公表したとまでは認めることができず、他に右の事実を認めるに足りる証拠はない。そして、わずか数日の間に、収容人員約七四〇名中の四名の受刑者が同じ原因で死亡するということは、極めて異常な事態であり、その死因が原因不明のうっ血性心不全(いわゆるポックリ病)で、単に偶然が重なったものとは考え難いところがあることは否定することができない。しかし、後に認定する事実に、解剖の結果やその後に同種の事態が発生していないことなどを総合して考えると、同刑務所が積極的に自らの管理体制の不備を認識し、その不備を隠すために一審原告の調査を妨害しようとして、一審原告の主張する各処分に及んだものであると認めることはできず、この点に関する一審原告の主張は、採用することができない。

三接見拒否処分について

1  受刑者が外部の者と情報等を交換する一方法である接見について、監獄法四五条二項は、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス」と規定しており、受刑者は、「特ニ必要アリ」と認められる場合に例外的に親族以外の者との接見が許されるにすぎない。右の「特ニ必要」があるか否かを判断するに当たっては、接見を許すことによって、受刑者に教化上好ましくない影響を与えること、あるいは刑務所内における規律秩序の維持にとって、放置することのできないような悪影響を及ぼすことが、相当の蓋然性をもって予見されるかどうか、及びこれの防止方法としてどのような程度の制限措置が必要であるかというような点についての専門的、技術的判断が不可欠であり、刑務所内の実情に詳しい刑務所長の裁量的判断によるのが相当であるから、「特ニ必要」がある場合に当たるかどうかの判断は、刑務所長の合理的な裁量に委ねられているものと解するのが相当である。しかし、右の裁量権も無制限なものではなく、刑務所長の判断が合理的な根拠を欠き、著しく妥当性を欠く場合には、裁量権の逸脱又は濫用があるものとして違法になるというべきである。右の理は、接見を求める者が弁護士である場合においても異なるものではなく、刑務所長に対し、当該弁護士が受刑者から既に委任された民事訴訟に関して接見を求めていること、あるいは訴訟委任を受ける可能性の大きい事項について、訴訟委任をするかどうかをも含めて相談するために接見を求めていることなどの事情は、「特ニ必要」がある場合に当たるかどうかを判断する際に考慮されるべき重要ではあるが一つの事情であるにとどまるものというべきである。したがって、右のような事情がある場合においても、直ちに「特ニ必要」がある場合に当たるものと解すべきではなく、受刑者の性向、行状、刑務所内の管理、保安の状況その他の具体的事情をも総合的に勘案して、当該接見を許すべきか否かを判断すべきものである。

2  これを本件についてみるに、一部当事者間に争いのない事実に加え、〈書証番号等略〉、証人安倍晋、同内藤隆の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)(1)  本件死亡事件が発生したのち、新潟刑務所長は、当時風邪患者がいたことから、特別な健康管理体制を敷き、昭和五九年六月一四日から感冒対策として、うがいの励行、作業時間の短縮、就寝時間の繰り上げ等の措置を実施した。

(2) 同刑務所長は、当初、刑務所という外部から隔離された環境下にある集団内においては、事実が歪曲されて伝えられることがあり、その結果、受刑者らに動揺を生じさせ、同刑務所の規律の混乱を招くおそれがあると判断したため、本件死亡事件を受刑者には知らせなかった。ところが、本件死亡事件が受刑者間に噂として伝わり、同月一四日、同刑務所第三工場では、受刑者の死亡の原因が食事にあると思った一部受刑者が食事を拒否したり、同月一五日、第六工場では、三一名の受刑者が管理部長に面接を願い出るなどの事態が発生した。

(3) 右のような動きに対し、同刑務所では、管理部長が全工場を巡回し、感冒対策について説明したり、また、保安課長が管理部長面接を出願した者に対して代理面接を行うなどして対処した。そして、同刑務所では、これらは異常事態であり、施設の規律維持上大きな危険をはらんだ対応の難しい非常事態と認識していた。

(二)(1)  一審原告は、乙に対する同月一六日付け信書に「病名は『心不全』といわれています。これは、不審な死の場合の別名ではなかったですか。」「他にも盲腸が破裂して外の病院に運ばれたまま四〇日以上もたって、まだ戻っていない人もいます。」「このごろの還房の際のあいさつは『おやすみ』から『死なないように』と変化しています。」、同月二六日付け信書に「あまりの煮え切らなさに激高して声をあげても、いつもならすぐ懲罰なのに今回だけは終始ソフトムードでなだめていたと言います。あれだけの人数と一人ずつ会ったというのですからまるめ込みの分断作戦でありました。」、同年七月一日付け信書に「しめつけが強化され、このままでは心不全が流行するおそれがある。」「この裏には何かがある。」、同月八日付け信書に「処遇面でのしめつけは強まるばかりで、それに伴って医務の劣悪となり、……」「食事内容もまたひどいときたら『心不全』が流行するのは当然のことです。」、同月一四日付け信書に「職員の言う事は、たとえ、どんなめちゃくちゃでも従えということであり、大変な頭の構造の持ち主が現場の責任者といえるポストについたものです。」などと記載した。

(2) 一審原告は、同月一四日、第六工場において、感冒対策を説明した管理部長に対し、他の受刑者の面前で、「職員も風邪にかかっているのか。」「外部でも風邪がはやっているのか。」「受刑者の症状と職員の症状は同じか。」「最近数人の収容者が死んでいると聞いたが風邪とは関係があるのか。」「死んだ人が出たのは確かか。」「何人死んだのか。」などの質問を執拗に繰り返した。

(三)(1)  読売新聞は、本件死亡事件について、同年七月一日付けで、「新潟刑務所『心不全』続出 6日で4人が死亡 弁護士ら調査」、同月二日付けで、「新潟刑務所の受刑者連続死 健康管理に問題か 救援連絡センターと県弁護士会 実態調査を開始」の見出しで報道した。

(2) 一審原告を含む同刑務所の受刑者らは、右の新聞記事を読んで、本件死亡事件について初めて知った。

(四)  本件死亡事件に関して、次のような動きがあった。

(1) 同年六月二七日、東京弁護士会所属弁護士舟木友比古が新潟刑務所に対し、本件死亡事件の発生の有無等を電話で照会してきた。

(2) 同年七月三日、対監獄闘争を標榜する救援連絡センター、監獄法改悪を許さない全国連絡会議、獄中の処遇改善を闘う共同訴訟人の会、獄中者組合、懲罰房を糾弾する会、弁護士らが会議を持ち、本件死亡事件の真相究明と責任の所在を明確化させていくことを確認した。

(3) 同月四日、新潟県弁護士会所属弁護士近藤正道及び同馬場泰が同刑務所を訪問して、一審原告から本件死亡事件について調査の申立てがあったとして、一審原告との接見を申し入れた。

(4) 同月五日、同弁護士会会長及び同弁護士会人権擁護委員長が同刑務所を訪問し、同弁護士会としては、遺族等からの申立て又は日本弁護士連合会等からの正式な調査依頼がない現段階では本調査をするつもりはないが、右の申立て又は依頼があれば調査を開始しなければならないことなどの方針を説明した。

(5) 同月一二日、救援連絡センター、獄中者組合等が新潟刑務所集団死事件対策会議を設置した。

(6) 同月一三日、新潟県弁護士会及び同弁護士会人権擁護委員会から同刑務所に対し、書面により、本件死亡事件について事実調査の依頼がされた。

(五)(1)  一審原告は、刑事事件の弁護人であった弁護士内藤に対し、同月一八日付け信書で、本件死亡事件の原因究明、一審原告の生命身体の安全確保、新潟刑務所内での受刑者の人権保障の状況について、それぞれ調査を依頼した。

右信書には、同月一日及び二日の新聞で事件の大体のところを知ったが、当局の発表にはうそが多く、これからの受刑生活が不安であり、今回の死亡事件は、劣悪な医務、締めつけの強化からすれば偶然ではなく必然と思わざるを得ないこと、同年三月中旬から腰痛がひどくなり、専門家に診てもらいたいので内藤の援助を期待していること、受信した手紙の一部が抜き取り、切り取ってあったが、不当な処置を撤回させるよう行動を起こしてもらいたいこと、盲腸が破裂して入院した事件があったが、医務の不適切さが原因となっているようであることなどの記載がされており、結論として、本件死亡事件の徹底究明と、一審原告らの生命の安全及び法で保障された人権の擁護のため、実態調査をお願いする旨が記載されていた。

(2) 一審原告の右信書は、同月二五日に投函され、同月二七日に内藤のもとに配達された。

(3) 内藤は、右依頼に先立って、同月二四日に投函した書面で、新潟刑務所長に対し、「過日の新聞報道及び甲君から知人宛の手紙によれば、近時、貴所において数名の収容者が短期間の内に死亡するという事態が発生しております。」とした上、一審原告の弁護を担当した者として、一審原告に状況の報告を求めたけれども未だ回答を得ていないが、このまま事態を黙過することができないので、① 一審原告の獄中処遇に関する問題点の把握、② 一審原告が内藤らを代理人として法律上の問題点の調査を委任するか否かの意思確認、③ 右意思を有する場合、代理人委任(訴訟代理を含む。)の手続履行、④ その他、右に関連して同刑務所の受刑者処遇の実情の調査、以上の用件で八月一日午前、一審原告の弁護を担当した清井礼司、竹之内明両弁護士を同道の上、一審原告及び同刑務所の責任者を面会訪問する予定である旨通知し、併せて一審原告に対しても、同年七月二七日付けの書面で右接見の予定を連絡した。

(4) これに対して、新潟刑務所長は、同月二七日付け(その頃到達)の書面で、内藤に対し、「諸般の事情から個別的に応接するのは適当ではなく、貴意にそえかねる」との返事をした。

同刑務所長が右のような返事をしたのは、監獄法で、受刑者に対する接見は原則として親族に限られているところ、弁護士との民事訴訟等の打合せについては、受刑者から訴訟代理人選任依頼の意思表示があった弁護士に限り許可をする取扱いをしているが、一審原告からはそのような意思表示がされていなかったこと、すなわち、前記書面において、死亡事件の徹底究明と一審原告の生命の安全と人権擁護のため事実調査をお願いする旨述べていたのであって、訴訟提起の意思表示をしていなかったこと、親族以外の者に接見を願い出る受刑者については、事前に相手方との関係等を申し出て許可を受けさせる取扱いをしていたが、一審原告からは本件接見について何らの願い出もされなかったこと、一審原告が、同刑務所の処遇について、これを歪曲して外部に伝えようとしているものと認識していたこと、一審原告が、入所後も「黒ヘル公判ニュース」「救援」など、対監獄闘争を志向する機関誌等を多数閲読しているので、黒ヘルグループ及び対監獄闘争に対して興味を持っているものと考えており、一審原告が同刑務所の管理体制に対して反抗的思考を持っていることが窺われたこと等を総合的に考慮し、接見を許可するのは相当でないと判断した結果であった。

(5) 内藤、清井及び竹之内の三名は、同年八月一日午前九時一〇分ころ、同刑務所を訪れ、一審原告からの前記のような依頼の趣旨を伝えて、接見を申し入れた。これに対し、同刑務所長は、監獄法の規定上親族以外の者との接見は認められないなどの理由で、接見を拒否した。

(6) 同刑務所長は、内藤から一審原告に当てた同年七月二七日付けの書面(前記(五)(3)参照)を一審原告に交付せず、また、内藤らが同刑務所を訪れたことも一審原告に知らせなかった。

(六)(1)  一審原告は、接見が拒否されたことを知った後、同年九月二一日付けの内藤宛の信書で、内藤を代理人として民事訴訟を提起することを委任した。民事訴訟の内容は、一審原告が受けている本件厳正独居拘禁が違法であること、信書の抹消が違法であること、接見を妨害されたことなどである。

(2) 内藤及び清井の両名は、訴訟準備のため、同年一一月一〇日午前一〇時二〇分ころ、同刑務所を訪れ、一審原告との接見を申し入れた。

(3) これに対し、同刑務所長は、一審原告の同年九月二一日付けの信書の名宛人が内藤だけであること、一審原告が清井を代理人として委任したとは認められないことなどを理由に、内藤と一審原告との接見を認めただけで、清井と一審原告との接見を拒否した。

(4) 内藤は、同刑務所長に対して、清井を復代理人とする旨申し出たが、同刑務所長は、一審原告と清井との接見を認めなかった。

3  右の事実に基づいて、新潟刑務所長のした接見拒否の違法性の有無について検討する。

(一)  第一事件について

前記の事実によれば、内藤が昭和五九年七月二四日付けの書面で新潟刑務所長に対してした通知は、一審原告の依頼に基づいてされたものではなく、また、接見の目的が主として連続死亡事件の事実調査にあることは明らかである。もっとも、その後、一審原告から内藤に対して、本件死亡事件の徹底究明と実態調査をすることを依頼する旨の信書が内藤のもとに到達しており、結果的には、内藤の右の通知は、一審原告の依頼に基づく形のものにはなったが、右信書の内容からも明らかなとおり、一審原告は、内藤に対し、主として本件死亡事件の調査を依頼したのであって、民事訴訟を提起することを依頼したものではない。このことに、既に認定した一審原告の、前歴、本件死亡事件発生後の乙に対する信書の内容、同刑務所内における言動、及び一審原告と同刑務所外の支援団体との乙を通じての結び付きの状況、並びに同刑務所外の動向及び同事件に関する同刑務所内での事態とこれに対する刑務所の認識等を総合勘案すると、同刑務所長が、内藤との接見を認めることが「特ニ必要」がある場合には当たらないと判断して、接見を認めない旨の回答をしたことは、合理的根拠を欠き、著しく妥当性を欠くものとはいえず、したがって、同刑務所長が同年八月一日に来訪した内藤ら三名を一審原告に接見させなかった措置が違法であるということはできない。

(二)  第二事件について

また、前記の事実によれば、新潟刑務所長は、第二事件においては、一審原告から民事訴訟の提起を依頼された内藤に対しては一審原告との接見を許可したが、一審原告から委任を受けていない清井についてはこれを許可しなかったものであるところ、内藤はその場で急遽清井を復代理人に選任する旨を同刑務所長に伝えたのであるが、本件においては、内藤一人だけで一審原告に接見したのでは、一審原告から依頼された事項について十分意を尽くした事情聴取ができない事由があることを認めるに足りる合理的根拠はないのであるから、同刑務所長が、清井との接見を認めることが「特ニ必要」がある場合には当たらないと判断して、同人に対し一審原告との接見を認めなかったことは、合理的根拠を欠き、著しく妥当性を欠くものとはいえず、したがって、これが清井を訴訟代理人に選任していなかった一審原告に対する違法行為に当たるということはできない。

四厳正独居拘禁処分について

当裁判所も本件厳正独居拘禁は違法とはいえないものと判断するが、その理由は、次のとおり訂正するほか、原判決五九枚目裏五行目の冒頭から同六四枚目裏三行目の末尾までに説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決六〇枚目裏三行目の冒頭から同六三枚目裏二行目の「総合すると、」までを次のとおり改める。

「2 本件について検討するに、一部当事者間に争いがない事実に加え、〈書証番号略〉、証人木津一男、同安倍晋、同新井勝弘の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  新潟刑務所における厳正独居拘禁の処遇内容は、概ね、工場に出役させず、独居房内で正座若しくは安座の姿勢を維持させながら、袋張りなどの雑作業に従事させ、作業時間内は同一姿勢を取ることを命じられ、昼夜とも他の受刑者とは隔離されて、他の受刑者と交流、会話等をすることは一切禁止され、刑務所内でのレクレーション行事にも参加することができず、戸外運動、入浴、診療、理髪なども分離されて、別の場所において実施されるというものである。

(二) 一審原告は、乙宛の信書に前記三2(二)(1)に認定したとおりの内容を記載し、昭和五九年六月一四日、他の受刑者の面前で管理部長に対し、前記三2(二)(2)に認定したとおりの発言をしたほか、同年八月一五日、一審原告の心情を把握するために面接をした保安課第一区処遇係長に対して、外部への申立てについては『自分の手段として今後もやっていきます。』とか、『職員の中に収容者の人権を無視していると感じるときがある。』などと述べていた。また、一審原告は、救援連絡センター発行の『救援』を購読していたところ、一審原告が乙に出した信書がこれに掲載されたこともあった。

(三)  新潟刑務所長は、一審原告が対監獄闘争に興味を持っていた上、同刑務所の職員に対して不信感を持ち、反抗的な態度を示していたので、そのような一審原告を雑居拘禁のままで処遇し、他の受刑者との接触が比較的可能な状態に置けば、一審原告の同刑務所の管理体制に対する反抗的態度が他の受刑者にも伝播するなどの悪影響が及ぶものと判断し、昭和五九年八月二〇日、一審原告を第一回目の厳正独居拘禁に付し、同日から一審原告の舎房を同刑務所の南舎に移したが、右処分の理由については、一審原告に告知しなかった。

(四)  その後、後記のとおり、同月二四日、一審原告が軽屏禁、文書図画閲覧禁止各一〇日の懲罰処分に付され、即日その執行が開始されると同時に第一回厳正独居拘禁は終了したが、同年九月二日の終了をもって右懲罰処分の執行が終了したため、同所長は、引き続いて同月三日、一審原告を第二回厳正独居拘禁に付して執行を開始したが、その際にも理由を告知しなかった。

(五)  一審原告は、本件厳正独居拘禁に付された理由を知ろうとして、同月五日、同刑務所保安課長宛に面接願箋を出した。その結果、一審原告は、同年一〇月二三日、右課長と面接したが、右課長は、『分類審査会の決定であり、理由は回答の限りでない。』と答えた。

(六)  同刑務所長は、昭和六〇年三月二日に六か月の独居拘禁期間が終了したので、その後、特にこれを継続する必要があるものと判断して(監獄法施行規則二七条一項参照)、三か月毎に一審被告主張のとおり一二回にわたって右処分を更新したが、各更新の際にも、一審原告に更新の告知をしなかった。

同刑務所長は、一審原告が、各回の更新に先立って発信した信書に、別紙『独居拘禁期間更新の理由』記載のとおりの内容を記載したことなどから、一審原告の態度は何ら改善されておらず、本件厳正独居拘禁を解除することはできないものと判断して、右のとおりその更新を重ねたものである。

(なお、本件厳正独居拘禁の処分日及び執行開始日について、一審被告の主張が一審原告の指摘するような経過をたどったことは、記録上明らかであるが、右主張の変更に伴って特に新たな証拠調べ等を必要とするものではないのではないので、これが訴訟の完結を著しく遅延させるものということはできない。

また、一審原告は、一審被告による右第六回更新以降の更新理由の主張は時機に後れたものである旨主張するところ、本件記録によれば、一審被告は、右の更新理由のうち第六回以降の分については、当審第二回口頭弁論期日前の同四月一三日にその具体的な内容を記載した準備書面を提出し、同月二〇日の当審第二回口頭弁論期日において、右主張事実を立証するため〈書証番号略〉を提出したこと、右書証の作成者である新井勝弘は、双方申請により平成五年二月八日の当審第六回口頭弁論期日において尋問されたが、その際、他の事項と合わせて右書証の成立についても尋問されたこと、同年五月一二日の当審第七回口頭弁論期日において一審原告本人の尋問がされ、双方から若干の書証が提出されて口頭弁論が終結されたこと、一審被告は、原審において、更新理由について概括的な主張はしていたが、具体的な理由については、第五回更新分までしか主張していなかったところ、当審において主張した第六回更新分以降の更新理由は、右の概括的な主張を具体化したものであり、第五回更新分までのそれと同様の種類、内容のものであること、以上の事実が認められる。これらの事情に照らせば、一審被告の前記の主張は、いまだ時機に後れ訴訟の完結を著しく遅延させるものということはできない。)」

3  以上の事実によれば、新潟刑務所長は、昭和五九年八月二〇日、一審原告第一回目の厳正独居拘禁に付し、同年九月三日、一審原告を第二回厳正独居拘禁に付してその執行を開始したものというべきところ、」

2  同六三枚目裏六行目の「黒ヘルニュース」を「救援」と改める。

3  同六四枚目表一行目の末尾に次のとおり加える。

「なお、一審被告は、昭和六一年六月三日の第六回更新の理由として、一審原告の同年三月一日付けの信書の内容を挙げているが、これは同月三日にされた第五回更新の前のものであるから、第六回更新の理由としては重視することができないが、これを除いたとしても、右の判断を左右するには足りない。」

五懲罰処分について

当裁判所は、第一懲罰処分は適法であるが、第二懲罰処分は違法であると判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決六四枚目裏五行目の冒頭から同七一枚目表末行の末尾までに説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決六四枚目裏七行目の冒頭に「証人安倍晋の証言により真正に成立したものと認める乙第九号証、」を加える。

2  同六五枚目裏一行目の「本件定規一本を所持していた」を「許可を受けずに本件定規一本を所持して遵守事項第一三項に違反した」と改め、同二行目の「軽屏禁」の次に「、文書図画閲覧禁止各」を加える。

3  同六七枚目表八行目の「規律」を「紀律」と改め、同行の「処ス」の次に「(五九条)」を加え、同裏三行目の「これ」を「したがって、監獄法の規定が違憲であるとはいえない。そして、同法の規定」と改め、同五行目の「しており」の次に「(前掲甲第二二号証)」を、同八行目の「いって、」の次に「遵守事項違反を理由として懲罰に付したことが、」をそれぞれ加える。

4  同六八枚目表二行目と同七行目の各「法制審部会決議」を「法制審監獄法部会決議」と改め、同六九枚目表五行目の冒頭から六行目の「として、」までを削り、同六行目の「一三条」を「一三項」と、同裏末行の「なかったとはいえない。」を「あったものというべきである。」とそれぞれ改める。

5  同七〇枚目表二行目の冒頭から同七一枚目表末行の末尾までを次のとおり改める。

「6 第一懲罰処分の懲罰権濫用による違法について

一審原告は、本件第一懲罰処分について、一審原告の違反の程度は軽微であり、それまで一審原告が優良受刑者であったことを考えると、軽屏禁一〇日間という重い処分は、一審原告が新潟刑務所の医療体制に不安を感じ、弁護士に調査を依頼したことに対する報復として、一審原告に弁護士との接触を断念させるためにされたものであるから、懲罰権を濫用したもので違法である旨主張する。

しかし、右懲罰処分に至った経緯を検討すると、一審原告が弁護士に調査を依頼したことに対する報復として、懲罰を科する必要のない事案について殊更に懲罰処分をしたものとはいえないし、また、本件全証拠によっても、右の事実を認めることはできない。右懲罰処分に係る事案は、無許可で副担当職員の許可印の押された定規を所持していたにとどまるのであって、違反の程度は比較的軽微であり、事後的にみれば、軽屏禁よりも軽い処分を科することも考えられないではない。しかし、懲罰は、行刑施設である刑務所の秩序を維持するという目的、規律違反の態様、程度等を行刑の専門的、技術的観点から検討を加えた上、刑務所長によって科されるべきものであるから、具体的にどのような遵守事項違反に対し、どのような懲罰を科すべきかは、刑務所長の裁量に委ねられているものと解され、その判断が合理的根拠を欠き、著しく妥当性を欠く場合には、刑務所長のした処分は、裁量権の範囲を逸脱又は濫用したものとして違法の評価を受けるのであるが、本件第一懲罰処分については、いまだ右の意味で違法なものということはできないというべきである。

7  第二懲罰処分の構成要件該当性及び懲罰権の濫用について

証人木津一男及び同安倍晋は、新潟刑務所では、雑記帳と便箋について用途を区別して使用するように指導しており、そのように区別させる理由は、受刑者を扱う刑務所では、何が起こるかわからず、予想できない危険を生じるおそれがあるからである旨供述している。しかしながら、一審原告本人尋問の結果によれば、新潟刑務所においては、便箋を全部使用した後に残った表裏の表紙は通常受刑者が廃棄処分をしていたことが認められるところ、便箋の裏表紙の主たる目的が便箋を保護することにあることは疑いがないが、これを廃棄しないでメモ用紙として使用することはよくあることであるし、このように使用したからといって、このことによって、刑務所の秩序維持の上に危険ないし不都合が生ずるおそれがあるということを認めることはできない。一審被告は、これを廃棄させないと、密書として使用することも可能であるというが、右の可能性は、裏表紙をメモ用紙として使用することを認めることに伴って生じる可能性ではなく、筆記用紙の使用を認めることに伴って生じるものであるから、これを防ぐためには、支給した筆記用紙がどのように使用され、あるいは廃棄されたのかを十分に確認すること以外にはないというべきであり、便箋の裏表紙を本来の目的外のメモ用紙として使用することにより同刑務所内の規律ないしは秩序維持に予想外の危険を生じさせるものと判断すべき合理的根拠はないというべきである。

以上のとおりであるから、一審原告の行為は、遵守事項第一四項には該当しないと解すべきであり、右の行為を理由に一審原告を叱責の懲罰処分に付したことは、懲罰権の濫用に当たり違法というべきである。

8  刑務所長の過失について

以上に認定、説示したところによれば、新潟刑務所長には、右の違法行為を行うにつき過失があったものと認めるのが相当である。

9  一審原告の損害について

一審原告が右懲罰処分に付されたことにより、精神的苦痛を被ったことは容易に認められるところであり、これに対する慰藉料としては一〇万円が相当であると認める。」

六裸体検身について

1 監獄法一四条及び同法施行規則四六条は、新たに入監する場合及び工場又は監外から還房する場合には、原則として受刑者の身体及び衣類の検査を行うべきものとし、その他の場合には、必要に応じてこれを行うべきものとしているところ、その他のどのような場合に右の検査を行うのか、また、右の検査を行う場合に、どのような方法で行うのかという点については、具体的な定めをしていないが、これらの点は監獄の管理運営と密接に関連する行刑の専門的、技術的な事項であるから、刑務所長の専門的、技術的判断に基づく裁量に委ねられているものということができる。そして、一般に刑務所内においては、物品の不正所持、隠匿、自傷等の事故防止のため、物品の管理を厳重にし、特に危険な物品が舎房内に持ち込まれないように万全を期する必要があるし、また、自傷行為が行われた場合にはその痕跡を発見する必要もあるので、受刑者の衣類のみならず、身体のあらゆる部分について検査をする必要のある場合があり、そのためには受刑者を裸体にして検身をすることも許されるというべきである。しかし、受刑者といえども基本的人権は尊重されなければならないのであるから、身体の検査も、安易に受刑者の個人としての尊厳等を侵害することのないよう、真に必要かつ合理的な範囲、態様において行われるべきものであり、特に裸体検身を実施するに当たっては、受刑者の名誉感情や羞恥心を害することがないように配慮すべきであって、不必要に名誉感情や羞恥心を害するような態様で実施した場合には、裁量権を逸脱又は濫用したものとして違法になるものというべきである。

2  これを本件について検討すると、一部当事者間に争いのない事実に加え、〈書証番号略〉、証人木津一男、同安倍晋の各証言、一審原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する一審原告本人の供述は採用することができず、他に右の認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  新潟刑務所においては、主として①新たに入監したとき、②房から工場に出役するとき及び工場から房に帰るとき、③反則事犯で取調独居拘禁に付されたときに裸体検身を実施しているところ、右①の場合の検身方法は、受刑者が全裸の状態で、両手を上に挙げて掌の裏表を見せ、口を開いて口の中を見せ、耳の穴、毛髪、陰部等を見せ、次いで半回転して両足を広げ、両手を前方につき前に屈んで肛門を見せ、足の裏を見せるというものであり、右②の場合の検身方法は、受刑者が脱衣をして衣類を工場出役用のものに着替える際に、全裸の状態で両手を挙げ歩行させて検査をするものであり、右③の場合の検身方法は、①の場合と同様である。

(二)  一審原告は、前認定のとおり、昭和六〇年四月一日の舎房捜検で、舎房内からメモをした便箋の裏表紙二枚が発見されたことを理由として懲罰事犯(物品の目的外使用)の嫌疑を受け、同日午後、取調べのため、同刑務所保安課事務室内の取調室に連行された。この取調に際し、一審原告は、外部からは見えない取調室で三名の職員が立会いの上で裸体検身をされた。その具体的な方法は、一審原告が、取調室に入室後、衣類を舎房着から取調独居拘禁用のものに着替える際、全裸の状態で、両手を上に挙げ、掌の裏表を見せ、開口して舌を出し、耳の穴と毛髪を見せ、陰部を見せ、次いで半回転して両足を広げ、両手を前方について前に屈んで肛門を見せ、足の裏を見せるというものであった。なお、その際、担当の職員から一審原告の羞恥心を強めるような言動はされなかった。

3  右の事実によれば、新潟刑務所では、新たに入監したときのほか、取調独居拘禁に付された際にも、受刑者に脱衣をさせて種々の外見検査をした上、両足を広げ両手を前方について前屈みにさせて肛門を検査しているところ、両足を広げ両手を前方について前屈みの姿勢をし、人の最も羞恥心を持つ肛門部を他人に見せることを強制されることが、羞恥心、名誉感情を著しく傷つけられるものであることは多言を要しないことであるから、このような検査方法を画一的に実施するのは相当でないというべきである。既に入監している受刑者は、少なくとも入監時に、前記のような方法により身体の細部まで検査を受けているのであるから、このような受刑者に対して更に右のような検査方法を実施することが許されるのは、懲罰事犯の嫌疑内容、当該受刑者の前歴、性格、挙動等からみて、肛門部に物品を隠匿している合理的な疑いがあり、前認定の工場への出役時及び還房時になされるような検査方法では不十分であると認められる場合に限られるものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、一審原告は、前記一に認定したとおりの罪で同刑務所に収容されていたのであるが、前記のとおり昭和五九年二月には行刑累進処遇令第二級に進級したこと、本件裸体検身の端緒になった懲罰事犯は、便箋の裏表紙二枚を廃棄しないでメモ用に使用したことが目的外使用に該当するとされた事案であって、一審原告が他に物品を不法に所持していることを窺わせるようなものではないこと、本件全証拠によっても、他に一審原告が肛門部に物品を隠匿していることを疑わせるような事情は認められないことなどに照らすと、裸体検身をしたこと自体は刑務所長の裁量権の範囲内のものではあるが、前記のような態様において肛門部を検査したことについては、敢えてこのような方法を用いてまで不正に物品を所持しているか否かを調べなければならない必要性はなかったものというべきである。それにもかかわらず、同刑務所長は、右のような態様による肛門検査をしたのであるから、検査の場所が外部からは見えない所であり、実施の際、担当の職員から一審原告の羞恥心を強めるような言動はなかったことなどの事情を勘案しても、行き過ぎであって裁量権を逸脱又は濫用した違法なものといわざるを得ない。

4  そして、以上に認定、説示したところによれば、新潟刑務所長には、右の違法行為を行うにつき過失があったものと認めるのが相当である。

5  一審原告が右のような態様において肛門部を検査されたことにより、その羞恥心及び名誉感情を著しく傷つけられ精神的苦痛を被ったことは容易に認めることができ、これに対する慰藉料としては一〇万円が相当であると認める。

七新聞等の一部抹消及び信書の検閲について

当裁判所も、本件新聞等の一部抹消及び信書の検閲は違法とはいえないものと判断するが、その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決七三枚目裏六行目の冒頭から同八二枚目表九行目の末尾までに説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決七四枚目裏三行目の「としてして」を「として」と改める。

2  同七六枚目表四行目の「については」の次に「前掲甲第一号証、第二ないし第四号証の各一、二、証人木津一男及び同安倍晋の各証言並びに」を加え、同末行の「異常な事態」を「偶然では済まされる問題ではない」と改める。

3  同七八枚目裏九行目の冒頭に「(」を、同一〇行目の末尾に「)」をそれぞれ加える。

4  同七九枚目表四行目の「(8)」を「(八)記載の信書」と改め、同八行目の全部を削り、同裏二行目の「とした」の次に「からである」を加える。

5  同八一枚目表三行目の「原告本人」から同五行目の「感じられず、」まで、同八二枚目表四行目の「刑務所側の反論がないと、」、同七行目の「これを」から八行目の「られず、」までをそれぞれ削る。

八結論

以上のとおりであるから、一審原告の本訴請求は、懲罰処分につき一〇万円、裸体検身につき一〇万円の各損害賠償を求める限度で理由があり認容すべきであるが、その余はいずれも理由がないので棄却すべきである。

よって、一審原告及び一審被告の各控訴に基づき、右と異なる原判決を右のとおりに変更することとし、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条、九二条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岡田潤 裁判官瀬戸正義 裁判官清水研一)

(別紙)独居拘禁期間更新の理由

1 第一回更新(昭和六〇年三月三日)

「ここ新潟刑は、形容し難い刑務所であることを喚起していただきたい。その上許せないことは、私の口を封じ屈服させようと保護司を使った。」「奴らのいやしく貧しい頭の中では、こういう場合、家族に手を回しえさをぶら下げたら万事丸くおさまるという観念ができ上がっているらしい。」「この課長は、あの中でも最も最低と目されている男です。」「反撃を開始する。」(昭和五九年九月四日付け)

「街頭でビラをまかれ、宣伝カーを繰り出し、情宣されなければ分からないと見えます。」「あまりに不当な仕打ち続けていると、たとえ退職したところで、……。と一応警告しておきましょう。」(同年九月一六日付け)

2 第二回更新(昭和六〇年六月三日)

「懲罰房にぶちこんだあほな看守ども」(同年五月二二日付け)

「保安課長はまだがんばっています。『心不全』事件にあたふたしたただ一人の生残りですが平気ででまかせを部下に指導するなどかなりの男ですよ。」「この特食の財源は何なのでしょう。よその(注・「刑務所」の意)ではすべて受刑者に還元しているし、によっては収支決算まで公表しているところもありますそれにひきかえどこかのは……。裁きの場で公表されるのをおそれ、悪習を廃止したものでしょう。」(同年六月一日付け)

3 第三回更新(昭和六〇年九月三日)

「上から管理主義で締められた看守個人の判断などアナーキーだ。」「無防備の者に権力者風をひけらかしえらぶってみせたところで大して自己満足も覚えないだろうと私らは思うのですが、もしかしてこれが当の本人にとってはこたえられない魅力となっているのではないでしょうか。」(同年七月二〇日付け)

「(食事について)切り詰めて浮かせた分は何に使ったのでしょうね。」「いかにまずくこしらえるかという腕前では、決して他の追随を許すことはないと断言しておきます。」「残りの受刑生活の過ごし方の方針を若干変更し、……当局との対決の方を選んだ。これで悔いのない受刑生活が送れそうであります。」(同年八月一八日付け)

4 第四回更新(昭和六〇年一二月三日)

「これだけ締め付けたら看守らの負担も大きく、ひいてはそれが末端では懲役に当たるというふうに事態はますます末期的になってゆくのですが、それを分からせようとしても制服連中の頭には無理でしょうね。」(同年九月一五日付け)

「空気頭の考えそうなことだ。」「補佐ともなれば『空気頭』集団の中ではえらい部類に属し……。」(同年一一月三〇日付け)

5 第五回更新(昭和六一年三月三日)

「こういう陰険なことをやるのが一人いるのですよ。それが誰なのかをここで名指ししてもいいですが、その当人はこういう陰険処遇が世に広まるのを嫌がっているので『保安課』とだけ言っておきましょう。賠償金がまたはねあがりました。」(昭和六〇年一二月四日付け)

「懲役君が礼をすると看守君は挙手をするのですね。軍隊ごっこをやっております。」「忠犬幹部の集まりが額寄せて成績上げようとすればとんでもないことを考えつかねばおぼつかないようで……。」(昭和六一年二月二日付け)

6 第六回更新(昭和六一年六月三日)

「懲役クンが礼をすると看守クンが挙手をするのですね、軍隊ゴッコをやっております。なかには個人的になると、ああいう芝居めいた仕草はなしにしている看守サンもいるようだけど、なにしろ上が、それを大好きとあっては、なんともなりません。」「この頃、漬物の代わりに、お得意の煮物、野菜の油煮、といったものをふんだんに出して喜ばれておるようです。誰にとは、言うまでもないのですが、何か限られた予算内で、心不全にならない程度に人間サマの料理をこしらえながら、一方では、ブタさんの要望にも応え、その食欲を満たし、商品生産までもっていくには、用度課長先生にも普通ではない気使いがあるのではないでしょうか。」(同年三月一日付け)

「先月末の夕方、夜勤のお回りさんが、特別放送を聞くかと言ってきました。特別放送などロクなことはやりやしないと思ったけれど……何の放送かと聞けば、作業時間の短縮についてだと言います。……要するに今月からは、隔週土曜日が休みになるということです。市民社会での労働時間の短縮が、看守諸君にもかなり前から波及していたのですが、その恩恵が懲役諸君に施されるには、よそのに遅れてようやく日の目を見たというところでしょうか。」「看守諸君の間では、懲役・看守を問わず、あまり休みをやったらだらけてしまうとして、ビシビシやる手合が出てくるのは、その習性上やむをえないとしても……この頃の号令や金ヒモを巻いた看守への『報告します!』の声の張りあげ方によくあらわれてきました。これからまたチョビチョビとしめつけがはじまることでしょう。」「看守社会は、下っ端の教育向上のためとばかり、常にああして気合いを入れておかねばと、一種の強迫観念がそうさせるのだろうけれど、この手の精神注入棒がどんなにもろいものか、よくわかっていながら、それにすがりつくほかない姿は、やはり集団的精神分析の必要があるかと思います。」(同年四月五日付け)

「この頃は、高級幹部のエライ先生方との面接には立会看守がついていて、行革とは裏腹に人が余って仕様がない、みたいなところが見受けられます。……懲役囚の教育と更生復帰にはほとんど人手をさかないから、用もない看守ばかり増えて、用事をこしらえてやらねば、彼ら若くて体が丈夫で、頭は、こっちの方は御推察におまかせして、ともかく彼ら諸君は、どうでもよいことをさも重大重要なお仕事のごとくに思い込ませておかねば、身の置き場がなくなってきたようです。」「大体、知性とか教養とかの有無は看守にとってはかならずしも絶対条件ではないのに、それがなければ看守にふさわしくないみたいな言い方は、さも看守には知性と教養が欠けている、と言いつくろっているのであり、あまりにもあからさまだとかなんとかで、職員グロウの罪で(注・「懲罰」の意)にでもなったら、今度は4級ですからね。4級ともなってしまえば、どんなにカンナンシンクを忍び、忍び難きを耐え忍び、独立独歩ひたすら向上心に満ちあふれた受刑生活を送ろうとも、2級への復級が裁判で勝利しない限り、まず無理な現状からして、そこからはい上がるのはほとんど絶望的です。そうなってしまえば、何故かしら、命の次に大事ではないかとも思える菓子が、2ケ月に1回の200円分のお菓子が胃袋に面会できなくなってしまうのであります。」(同月一九日付け)

「歯医者は、がまんできないようなら。もったいないが抜くしかない、などと言って……『治療』は終ったのでした。この頑丈な大きなヤツを抜くしかない、などといわれたときのオドロキは。何のことはない、少しばかり手間をかけるのが面倒なだけでしょう。それと薬品と別の詰めものを揃えるのが。けずりにけずったのが、どうも神経を過剰に刺激し、それらいわれなき不当な弾圧に抗しムクムクと頭をもたげ触れると過敏に反応するようです。」(同年五月五日付け)

「構造的な再犯システムを言ってみれば、他の受刑者からの好意などは断固として拒絶せよ、軍隊的規律、軍隊的秩序に従順であってはじめて官は諸君等に恩恵を付与する。受刑生活上の創意工夫などもっての外だ、そういうことは官がない知恵しぼり頭ひねって管理しやすいように手当てしているのであるから、それに不足、不平を覚えるなど身のほど知らずの官に対する背信であり、工夫をこらしたとなれば重大な違反行為である、諸君等はそういう悪知恵に頭を使わないで、どうしたらにこないで社会生活を送ることができるかを考えるように努めるべきだ……ということかも知れません。」(同年六月一日付け)

7 第七回更新(昭和六一年九月三日)

「ちなみにあのキャーキャー言って目つきが悪く評判芳からぬ区長は、昨夏頃から工場担当の区長にまわり、今春にはどこかへ消えたようです。区長は大体2年のローテーションですから、そういうところから、はじきだされた、という評判です。おかげで朝・夕の平穏を乱す者がいなくなり、これらの人事は南舎の秩序維持に大いに貢献したといえるでしょう。」(同年七月一九日付け)

「用度課長先生も暑くなってきたので、懲役諸君が夏バテしないように、と基調煮付煮物に物量を投入し、それでも足りないと感じているのか、油ひたひたの炒め物がこの頃では大量になって、野菜スープみたいにして野菜もスープもどっちも口に入れられないようにして出したりして、いろいろ創意工夫に余念がありません。」(同年八月二日付け)

8 第八回更新(昭和六一年一二月三日)

「高級幹部諸君も下級官吏に自由時間があり過ぎるのは看守支配上管理運営に不測な事態となって、彼ら高級幹部諸君にはね返る恐れがあると、イギリスの看守ストみたいになったら事であるためそれを警戒して、看守増員によって生じた余剰人員の対策を懲役囚への管理支配強化に振り向けている面もあるようです。」(同年九月二〇日付け)

「われわれB(注・「爆弾」の意)闘争が、敵権力に与えた衝撃、屈辱、敗北感はよくわかっていたし、だからこそ報復の身にさらされているわけですが、一方B闘争を受けとめた人たちのことはわずか周囲にいる人たちしか知らず、しかし、私らの視野に入らなかったところで我々のメッセージを受けとめてくれた人たちがいるという事実は、これからの自分自身の生き方を決めるものとして迫るものであります。」(同年一〇月四日付け)

9 第九回更新(昭和六二年三月三日)

「管理・管理で日夜奮闘中の彼等もヒマを持て余してきたのかもしれません。そして、成績を上げようと考え出したみたいです。どうにかして弾圧の糸口をとらえ、どんなささいなことでも見逃さない、と。」(昭和六一年一二月七日付け)

「ところで、年末にコピーを送ってくれているそうですが、私には何の通知もありません。多分、当局は不法に握りつぶし不正行為を行っていると予想されますが、そのためしつこいようだけど、いつ送ってくれたのかをもう一度確認をお願いします。当局は、事実が明らかになっても、本籍地から連絡がない、などと虚偽の回答をして人をたぶらかし、あわよくば満期切れにはかない期待をかけているようです。だけど、私にとっては切実な問題で、当局の都合のままにしておくわけにはいかず、そろそろ具体的対処の時期にきています。また賠償金がつり上がるとあっては期待に胸がふくらみその気にさせています。やる気に対する当局の御協力には見逃せないものがある、と指摘しておきましょう。」(同年一月一七日付け)

「2/16に、Ⅰ(注・「略記」の意)さんを親族追加記載で願箋出したところ、……親族とは認められない、という告知を受け、それが内縁の夫だからではない、と言うのです。親族と認められないその理由が、内縁の夫にあるのではないならば、他にどんな理由をこじつけたものだろうと考えてみたところ、もしかして、彼女の葉書に、その理由を見つたのではないか、と気づいたわけで。彼らは今頃では、おおぴらに○○さん、とは言わずに○○センセイ、と呼び合っておるのですが、これは、いわば、看守ぐるみで肩書を詐称しているのであって、その擬制の世界での棲息が、そのつもりになりきろうと、何やら努力し、がんばっている彼らにとって、本物の先生が、葉書に書いてあるようであっては、許せない、認められない、となってしまったのかもしれません。……これは、やはり法廷で説明してもらわねばならないことになるのでありましょうか。またまた、この国家財政が破綻をきたしているおり、賠償金がつり上がることになりそうです。」(同年三月一日付け)

10 第一〇回更新(昭和六二年六月三日)

「彼等は、獄中者の権利などというものは、考えたことはないし、誠意などというものは持ち合わせてもいません。あるのはただ恩恵のみです。それは、均一・平等ではないし、人を見て施すのであるから気まぐれです。きわめて恣意的です。」(同年四月四日付け)

「新年度に入り、恒例のことながら周囲がふさがってきました。誰かさんの隣近所がふさがると、満杯状態であります。なるべく、近所を空けておこうとするのは、誓いと更生の毎日に精進している者に対する容易ならぬ気使いでありましょう。……保安と管理秩序のパラノイアにとらわれると、そうもいかぬようです。今回も大幅な異動があったみたいで、なかには1年しか腰かけずに他に行った者もいるようで、しかし、考えてみれば、彼らもいばっているけれど、定年になるまで腰が定まらず、……その分、下への締め付けに精神解放の活路を見出すのでしょう。」(同月一八日付け)

「昨日の新聞に、が高齢の再犯者の福祉施設化しているという法務省の発表が載っていました。とんでもない責任転化。囚人4・5人に看守1人なのに、それを生かせない劣悪処遇が、出所してもすぐ舞い戻らざるを得ないという、現状の刑務所行政の破綻であるのに、この狙いは明らかです。コリゴリするほど厳格にしていこうという示威でありましょう。」(同年五月四日付け)

11 第一一回更新(昭和六二年九月三日)

「この天候は、あの『ポックリ病』のときとそっくりなのに気づきました。当時よりも、25パーセントは多くの予算を、うまい、まずいは別にして、つけているようにも感じられますから、皆さん無事に過ごせたのも、そのせいがあったのかもしれません。それにしてもあれから3年もすぎたとは、この間、いろいろあったような気がしますが、早いものです。当時の幹部も、平幹部二、三人しか見当たりません。しかし、これから秋にかけて、全国に散らばった幹部諸君は、嫌でも当時のことを思い出さずにはいかないでしょう。相応の対価を支払うときが来たということです。」(同年六月二〇日付け)

12 第一二回更新(昭和六二年一二月三日)

「最近高級幹部先生は、受刑者に見られるのが恥ずかしいのか、あるいは日頃非人間的処遇に後ろめたさを感じている故か、すれ違うことがあると、ボク達は急に右向け右をさせられ、壁向きになります。号令のかかっていないとき壁向きになるのはいつものことだけど、通路を行進の号令とともに歩調を合わせて正しく皇軍兵士のように歩いているところを急に右向け右の号令かけられても体がその通りにならず困っています。……どうやって、号令に合った正しい帝国軍人のような動作ができるのか、今度保安課長先生に願箋出して聞いてみようか、と考えているところです。それとも法廷で聞いてみた方がいいだろうかと。」(同年一〇月三日付け)

「今回は、お互い考えてることが全然違って、間に立った人には迷惑をかけてしまいしました。これというのも、当局によって早朝出所が不許可になったからです。これがボクを特別扱いせずに、又、早朝出所ならば外が暗いのでポリ公が顔写真とれない、などといった注文があったかどうか不明だけど、ともかく、他の受刑者同様に扱ったならば、仕事を持っている人も来れたはずで、そうすれば、こちらからのあいさつもゆっくりしてから、となったはずなのです。このことは後々のこともあるのではっきり指摘しておきます。きっと法廷でも問題となるでしょう。」(同年一一月七日付け)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例